『嬉しい手作り弁当』 元千葉県船橋市立船橋中学校長 岩崎永夫
昼食時はクラスの雰囲気が最も華やぐ場面でもある。
どのクラスでも思い思いのグループで持参の弁当を広げ、和やかに語 り合う。
学級担任も輪の中に入って食事を楽しむ。
まだ給食がなかったころ、そんな光景を眺めながらの校内巡りが、校長 である私の
楽しみの一つだった。
「オレ、こんなうまい弁当を食べたのは初めてだヨ。
オバさんが作ってくれたんだ。」 三年生の健太君が笑顔で弁当をパクつく。
「先生、弁当っていいもんだネ」と嬉しそう。そっと中身をのぞく。
卵焼きやソーセージ、煮物と決して珍しいメニューではない。
しかし彼にとって、この弁当は何物にも替え難い宝物なのである。
私は「良かったね」とひと言だけ添えて教室を後にしたが、目頭が熱
くなるのを覚えた。
彼に両親はいない。
小学生のときに母親 も中学三年の春には父親を亡くし、姉との二人暮らしである。
まだ若い姉は昼夜を問わず懸命に働いた。
彼は姉に迷惑を 続けたくないと、昼食は校内販売のパンか市販の弁当で済ませていた。
学校が出入り業者の弁当をあっせんするなどしたが、 「たまには自分で作るから」と言う。
半年が経過したころ、姉が過労で入院してしまい、しばらくは知人の家から通学する スタイルになった。
今日の弁当は、その寄宿先のオバさんの特製。
久々の手作り弁当、おいしいわけである。
生来の明るさ を持つ彼は、クラスの人気者である。
いわゆる勉強は得意ではないが、スポーツとなると俄然その力を発揮する。
バスケッ ト部ではレギュラーの座を獲得し、体育祭などではリーダーとして大活躍である。
寂しさのそぶりも見せようとせず、逞しく生きようとする彼に、周囲の仲間や教師は精いっぱいの声援を送った。
進学ではスポーツの実績が認められ、県立高校の推薦枠を勝ち取った
卒業式前日の夕方、一度帰宅した彼が校長室を訪れてくれた。
「お世話になりました。本当は明日言うのだろうけど・・・。」
と言う彼に「オバさんの弁当の味を覚えているかい」と語りかけると、眼を真っ赤にして頷いた。
それから十余年の歳月が流れ、結婚披露宴に招かれたとき、
彼はテレながらも嬉しそうに言った。
「先生、妻がネ、毎日弁当 を作ってくれるんだヨ」。
「れいろう」誌 『心に残る話』より
心に残る話しを拾いました。
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